23.10.15

意図するおと



好天気が続いている関西です。

師からの電話で始まった朝。


鍵盤関係はもちろんのこと、
弦楽器シターの練習も、一段と拍車がかかりました。
生前の父のある言葉と師の言葉のダブルな助言。


シターのルーツの真実をもっと詳細に見極める。
美しい音にしていく。
魂が喜ぶおとに。

これはシター含め、楽器を奏する自分が思う、自分への課題です。


改めてCithareと言う楽器において、すこし電話講義していただいた。
いろいろ得た情報から、間違った知識を信じていくところだった、、、
真実を知ると、見方が変わるし、奏するおとも変わってくる。


いつでも、どこでも、
喜んで、安らげるような音を自分自身も望んでいる。


母の住まう老人ホームで、
昨年クリスマスからシターを持ち込み、音楽療法(楽法)の一環で
いろいろな音のコンサートを行っているけれど、

生まれて初めての弦楽器...直に指を弦に触れての音は、
正直、私にとっては鍵盤楽器と違うある意味の怖さがある。

音を出す度、自分の「こころ」を試されていると感じる。

演奏はしていたけれど、
続いていた実家の諸用でお休みしていた凡そ2年のシターレッスン。
その2年ものブランクは決して無駄では無かったと感謝している。


やっと...
先ずはシター再開に向けて練習できるのが嬉しい。


  新譜が届いたら尚更、テンション上がります。



  皆さま、
  いつか私のシターも聴いてくださいね^^

14.10.15

音の容(かたち)独りごと



長いか。短いか。



忘れられない2年目の秋。間もなく、亡き父の看病で実家に赴いた日がやって来ます。
永いお別れのあとも尚、
いろいろな人、もの、ことに出逢い、想い、問いかけ、考える機会が続いています。


一昨年秋からの松山滞在生活から、自分に問いかけが続いている中で、
こころの中に潜んでいた音へのわだかまりが、ようやく少しずつ解けてきました。
こころと音の同時解放と言うのでしょうか。


チェンバロ、スピネット、シター、ピアノ...
これらの楽器が目の届くところにある。


それぞれの楽器で時代を打ち破っている毎日。
一つの枠に捉われないで、自分に与えられたそれぞれの音を。


聴く人によって感じ方は違う。
チェンバロはテクニックをみせる楽器ではない。
拘るところはもちろんある。


時々、分野の違う方たちとの語らいも愉しむ。
色々な感じ方の人たちがいてくれるからこそ、奏する私たちも一緒に音を楽める。



古楽器と現代楽器の奏法、音は異なもの。
だからいいのです。


  音・・追う。観る。奏する。聴く。出逢う。思う。問う。考える。語る。描く。創る。遊ぶ。



音の表現を想像してみたらこんなにもたくさんあったのですよ。
日本語って素晴らしいですね。
もっとあるかなー?^^



それでも
まだ私に足りていない音・・どうしても自分の音にしたいものがあとひとつあります。


長いか。短いか。
様々な音の言の葉を学ぶに良いチャンスの自分充電。
音楽生活の中で、今まで以上に深く考え、教えられ、学べたのは最初で最後かも知れないけれど。

やっぱり、私って不器用なんですかねぇ~^^


時のしるしを察知する。その時、新しい扉を開けなさい。
神さまと亡き父が微笑みながら教えてくれています。



      自分を自分にする。

   
      最後は、こころが音を決める。

6.10.15

調律のまえに




新しいピアノが来たら、次は調律ですが。

その前に、
レッスンの合間に弾き込みです。


バッハ、モーツァルト、ドビュッシーに加えてシューベルトも。



何故この四人なのか・・
小学低学年時代に以前の先生からの紹介で入門した、三人目のピアノの師匠(男性)の厳しい指導の下、今でも忘れられない最も大好きな作曲家だからなのです。


この先生のレッスン室のピアノ横にいつしか小さい木目の楽器が並ぶようになりました。
グランド2台+スピネットです。


まだ幼かったのでなんだろう?...と。
当時、触りたくて、弾いてみたくてたまりませんでした。


その後、バロックの世界に入った時、
幼い頃に毎週見ていた楽器はスピネットだったということがわかったのです。



そうそう、
若~い頃、チェンバロデビューリサイタルをした後に...
故郷のピアノの師匠宅を訪問して、
師匠と一緒に、幼い頃、不思議に思っていたスピネット遊びをしましたよ^^




しばらく弾きこんで
ハンマーを馴染ませてから調律をしていただく予定です。


今回、縁あって初めてシュベスターと言うピアノを迎えました。


まず小一時間奏でてわかったのは、
強力な個性で特徴的な内面を持ち合わせていると言うこと。
音は暖かく優しいです。

・・が、
半端なタッチは許されないこと。
音の誤魔化しはきかない。
楽器はそれを拒絶し、正確なタッチと曲のこころを求める。
全てが同じ普通の弾き方・タッチでは明確な音が聴こえてこない。
逆に言うと、タッチの勉強になる。
ここで私の場合、チェンバロのタッチ・奏法が役にたっています。

自分の音の正確さを確かめる時、
ピアノでモーツァルトソナタをノンペダルで弾いてみる。
おとのメリハリを感じながら。

これはあくまでも、私が弾いて感じたことです(私の見解です)
ピアノによる演奏に関する考察が変わりました。


どの楽器にも個性はありますね。
我が家のチェンバロやスピネットに似てくるのかな。。。

若い頃、チェンバロに転向するまでの出発点だったピアノも、
そう考えるととても奥深いです。

調律は、女性の調律師さんが担当してくださいます。


  それまでもう少し待ってくださいね^^

3.10.15

出逢ったおと



秋気澄む日の今日。
オーバーホールを終えてお嫁入りしてきました。



去った夏は、我が家の半世紀を超すピアノ買い替えで楽器巡りが続き、
日を変えて、京都のピアノ工房に伺い、試奏すること1時間半。


とにもかくにも先入観を捨て、数あるメーカー、名器にとらわれず…
直感!私の魂を揺り動かされた瞬間。

メーカー名を見たら、それはSUHWESTER(シュベスター)でした。

私にとって、UP、GP合わせて5代目のピアノです。

シュベスターとは、ドイツ語で姉妹という意味なんですね。


ふんわり包み込まれる様な暖かい音。不思議な感覚が続き、楽しくなって、
気がついたら、試奏していた時間の大半を、そのピアノと対話して遊んでいました。


決め手となったのは、モーツァルトソナタ、師匠の曲、フーガの技法。
特に、音楽の軸のフーガの技法で魂が喜んだのです。
何しろ対位法が大好きなんです^^


それぞれの時代の楽器の特徴を知って演奏すると、
ピアノでのバッハも面白いですね。


魂とこころの充足感。


      あなたに相応しい音はこの音だよ。と神さまが言う。




大好きなドビュッシーを連れて行くのを忘れてましたけれど。


ピアノだからピアノだけのタッチだけではない。
チェンバロやスピネットもそうだったように、再びピアノも、自分の音に。


それぞれの様々な奏法・タッチ・ペダリングでこれから育ってくれるといい。

私の場合、基本のピアノ奏法は、ダンパーペダルよりもソフトペダルが主役になる。
どんな音を必要としているのかは、時代や曲によって違う。


わがままを言わせてもらえるならば、
真ん中はミュートペダルではなく、ソフトテヌートペダルが欲しい!^^;


アラサーのMyチェンバロ…製作家から完成の第一報を戴いた時と同じ気持ちです。


     若い頃の子育て時代を想い出しました。

     楽器も人間の子育てと同じ。



                音育て・・また始まります^_^

2.10.15

バレエで身体の目覚まし



このところ1ヶ月に一度の割合になっているバレエですが(汗)

久しぶりに、身体の目覚ましに行ってきました。


今日は特にフッキン、ふっきん、腹筋~~~!の使い方です。


音楽に合わせて、
指先から、足の指先までピーンと伸ばすと気持ちいい~。


久しぶりに行くと身体が硬くなっているのがよくわかるのです。
   それじゃぁあかんがな!

朝夕のストレッチだけは、毎日欠かさずやっているんですけれどね、、、

バレエの日は、
涼しくなっても、寒くなっても、汗が出るのでとてもスッキリします。
今日の関西は暑いです、、、


師匠はもちろんのことですが、
外出中に、背筋を伸ばして歩いている姿の方を見かけると、とてもエレガントで美しく感じます。


立ち姿、所作...
バレエの心得があるかどうか雰囲気でわかると思いませんか?
きっと、こころも素直で素敵な方なんだろうな。と。


ほんの少しでも近づけたら…と思っています。


バレエの通い道で帰りになでしこを見つけました。




なでしこって大和撫子と言われるほど女性的なイメージが強いですが。
花言葉は純愛・無邪気・思慕・・女性の美なんだとか。
他に才能・大胆・快活などもあるそうです。



日本女子サッカーでも、
なでしこジャパンって愛称がありますが、ステキな名前ですよね。



花を見たら話しかけたくなります。


 う~ん、大和撫子まではまだまだ遠いなぁ...^^