チェンバロとシターと。
楽器に向かい音を奏でる。
夕方のある番組の中で、
短めの紹介コーナーで目にしたときのこと(出演は某Vn.奏者さん)
師匠の言葉を想い出しました。
シター奏法を学び始めたとき、
「祈りの楽器ではなく、祈る楽器です。」と教えられたことです。
祈り。と、祈る。という言葉では意味合いが違いますね。
思うのは、
祈りは個人的なこと。
祈るは全体的なこと。
楽器の前で、いつもその言葉を胸に刻みながら練習するのですが、
その番組で、まとまったように思います。
楽器には、
ひとと同じように、魂が宿っています。
一つの楽器の容になるまでには、
長い歳月をかけ、観えないけれど、色々な、
手がけた人やものの想い、気持ち、こころがたくさん詰まっている。
それぞれの姿に完成して、奏でる者の手元にやってきて、
責任をもって自分の音を創っていく...
日本語は美しい。けれど難しい。
でもそこに重要で大切な意味が潜んでいる。
教えられた言葉の意味が一致しました。
音楽は祈ること。
0 件のコメント:
コメントを投稿