長いか。短いか。
忘れられない2年目の秋。間もなく、亡き父の看病で実家に赴いた日がやって来ます。
永いお別れのあとも尚、
いろいろな人、もの、ことに出逢い、想い、問いかけ、考える機会が続いています。
一昨年秋からの松山滞在生活から、自分に問いかけが続いている中で、
こころの中に潜んでいた音へのわだかまりが、ようやく少しずつ解けてきました。
こころと音の同時解放と言うのでしょうか。
チェンバロ、スピネット、シター、ピアノ...
これらの楽器が目の届くところにある。
それぞれの楽器で時代を打ち破っている毎日。
一つの枠に捉われないで、自分に与えられたそれぞれの音を。
聴く人によって感じ方は違う。
チェンバロはテクニックをみせる楽器ではない。
拘るところはもちろんある。
時々、分野の違う方たちとの語らいも愉しむ。
色々な感じ方の人たちがいてくれるからこそ、奏する私たちも一緒に音を楽める。
古楽器と現代楽器の奏法、音は異なもの。
だからいいのです。
音・・追う。観る。奏する。聴く。出逢う。思う。問う。考える。語る。描く。創る。遊ぶ。
音の表現を想像してみたらこんなにもたくさんあったのですよ。
日本語って素晴らしいですね。
もっとあるかなー?^^
それでも
まだ私に足りていない音・・どうしても自分の音にしたいものがあとひとつあります。
長いか。短いか。
様々な音の言の葉を学ぶに良いチャンスの自分充電。
音楽生活の中で、今まで以上に深く考え、教えられ、学べたのは最初で最後かも知れないけれど。
やっぱり、私って不器用なんですかねぇ~^^
時のしるしを察知する。その時、新しい扉を開けなさい。
神さまと亡き父が微笑みながら教えてくれています。
自分を自分にする。
最後は、こころが音を決める。
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